昨日夢中になった無印良品のサイトの女の子について語らせてください


久々の更新である。

この1ヶ月、色々あった。色々と書きたいことがあるんだけど。

なのにこんな内容で良いのだろうか。

良いのである。

本当に書きたい時ってのはそういうもんだ。

タイトルの通り、ある女の子にワクワクしてならなかったのである。


皆さんは「透明感」という言葉の意味を考えたことがあるだろうか。


「透明感のある女の子、○○クン(18)の純粋無垢ボディー初お披露目♡」


なんて文章をグラビアの記事で読んだような覚えがあったりなかったりだが。

「透明感」の何たるか?などはアラサーになるまで考えたこともなかった。

もしかしたらプレイボーイやFRIDAYの記者だって、本当はわかっていないかもしれない。

とうめい‐かん 【透明感】

1 物体の、すきとおった感じ。「ガラスの―を生かしたデザイン」
2 にごりがなく明るい感じ。「―あふれる歌声」「―のある肌

コトバンクより


透明感というのはこういう意味らしい。

これを人間味に置き換えると、「純粋」とか「自然体」といった意味にも置き換えられると思う。

僕が夢中になった女の子は、確かに透明感があって、自然体な雰囲気だった。



しかし、彼女の一番の魅力は透明感だけなのか?
といわれるとちょっと違うのだ。



時に透明感がある。
自然体で生き生きとして、純粋そうだ。

時に妙な生々しさがある。
人工的でもろく、不純さをちらつかせる。


そんなアンバランスな雰囲気を醸し出していたのだ。


勢いあり過ぎてタイトルで言っちゃってたわ


というわけで、小生は無印良品というブランドのwebページを眺める毎日なのである。


衣料品2012春夏
コーディネートカタログ 婦人
http://www.muji.net/store/pc/user/2012ss/index.html#!/women/coordinates/


無印良品」というブランド自体が透明感を帯びている。今更だけど。

オーガニックを好み、麻やコットンを身にまとい、
ベーシックなアースカラーでライフスタイルを彩る。

自然体な生き方。それがMUJIライフ。


そこで抜擢されているのがこのモデルさんだった。


Kanoco
http://www.barkinstyle.jp/member/kanoco.html


前述のようなグラビアアイドルに目が奪われるのとは違った。

表現としては、吸い込まれた、という方が正しいかもしれない。


僕が言うのは相当おこがましいんだけれど。

飛び抜けて可愛いわけじゃないし、キレイなわけでもない。

だけども、webカタログを見てみると。

無印良品」を体現するために生まれてきたようなモデルさんだ。



基本はモデル然としたクールな表情。

時に笑顔をふるまう。微笑。

そして満面な笑みを浮かべることもある。

サイトのページをクリックする自分へのサービスであるかのように思える。



世間はこれを「ツンデレ」と表現するだろうか。

僕はモデルが見せるツンとデレの緩急に酔いしれているから、こんな文章を書いているのだろうか。


いや、これはツンでもデレでもない。

制作者はツンデレという要素を少なからず理解しているはずだが。

もっと、先に表現したいものがある。

ツンとデレの繰り返しは「ライフスタイル」なのだ。

そうやって人生というのは感情の起伏と共に出来上がっていくのだ。



そう。

つまり、彼女の表情は無印良品が提供したい「ライフスタイルに寄り添うこと」を見事に体現していた。

彼女は洋服を着ているのだが、MUJIブランドを一瞬身にまとったようにさえ見えたのだ。

それは着ているようで、着ていなくて、決して着さされている訳じゃない。

身にまとっているようで、本人は着ているつもりなど無い。



そう。

つまり、僕は興奮し過ぎて書いていて何が何だか訳がわからなくなってきたのだ。


空気系とはなんぞや


透明感という言葉について考えたきっかけは「リトルピープルの時代」という本だった。


リトル・ピープルの時代

リトル・ピープルの時代


この本は村上春樹の思想について、仮面ライダーで読み解く。といった異色な本だ。

後半には、AKB48のブームのきっかけなども記されている。

いわば、ポップカルチャーの社会学、みたいな本だった。


読んでないヒトがわかるように、すっごい簡単に言うと。(村上春樹の部分は抜いて)

①アメリカで起こった9.11を境に正義/悪の境が無くなってしまった


②仮面ライダーはそんな時代の変化と共に、ストーリーを変化させている


③世の中で流行っているアニメやドラマのストーリーも変わってきた


④過去のポップカルチャーは?

外部(ここではない、どこか)へ連れて行ってくれるストーリー
「ウルトラマン」「機動戦士ガンダム」「おニャン子クラブ


⑤今のポップカルチャーは?

内部(いま、ここ)を深く潜るようなストーリー
「平成の仮面ライダーシリーズ」「涼宮ハルヒの憂鬱」「初音ミク」「AKB48


⑥そういう今のポップカルチャーを「空気系」と呼ぶらしい。

空気系とは
美少女キャラクターのたわいもない会話や日常生活を延々と描くことを主眼とした作品群。日常系(にちじょうけい)ともいうwikipediaより


⑦空気系ストーリーにおけるキャラクターは透明度が不安定で人間未満の存在になる←ココが今回のポイント!


これ簡単に言えてるのかな??

途中は読んでもらうとして、ここでは「透明度」を考える上でポイントとなりそうな「空気系」について考えてみる。


かぎりなく透明に近い不透明


木更津キャッツアイ」というドラマを軸に話が展開されている箇所がある。

このドラマは宮藤官九郎さん脚本で話題となった作品だ。


前提として。

透明度100%を現実世界だとする。

透明度0%をファンタジーや虚構の世界だとする。


このドラマは千葉県の木更津という実在する街を忠実に舞台にしたこの作品。

木更津で暮らす「ぶっさん(岡田准一)」を中心にストーリーは進む

ぶっさんは余命を宣告された無職のフリーターだ。

つまり設定としてはリアルな世界なので透明度100%である


しかし、その周りを囲む仲間達には極端なキャラクター設定がされている。

また、本人役として芸能人が出てきて盛り上がりを見せる。


哀川翔哀川翔 本人役で出演
氣志團氣志團 本人役で出演
加藤鷹:加藤鷹 本人役で出演


この辺りはウィキペディアに詳しく書いてある。


ぶっさんは極端なキャラクターの仲間達と怪盗団を結成して、ピンチの人のために頑張る。

「芸能人が木更津に来てる!」という噂を聞いては興奮し、会いに行く。

哀川翔の男気を崇拝し、氣志團のライブに熱狂し、加藤鷹に性のアドバイスを求める。

芸能人を見る我々庶民と同じ目線だ。



外部の極端なキャラクターの存在でファンタジー的な要素を作り、

「ぶっさんと木更津」のリアルな要素、つまり透明度を保っていたのだ。



しかし一変して、映画編となると、一度死んだはずのぶっさんはゾンビになって復活するという離れ業を成し遂げる。

ただ1人、透明度100%の存在であったぶっさんはファンタジー要素が加わり透明度0%になる。

キャラクターとしてはどちらの透明度も獲得できない象徴が「ぶっさん」ということだ。

漫画やアニメのキャラクターが100%の透明度を獲得して現実を生きる人間になれず、0%の透明度を獲得して完全に独立したもうひとつの現実を生きる人間にもなれないように、宮藤が操る役者たちの身体もまた、0%の透明度も100%の透明度も獲得できない。
その結果、彼らはやはり人間未満の存在になっていく。
『リトルピープルの時代』より


「人間未満の存在」=空気系のキャラクターとしての要素となる。


空気系は簡単に言うと、「悪を倒すストーリー」などの明確な目的を持たず、「日常を消費していくストーリー」だ。


別に悪を倒すための主人公となり、ストーリーを作るわけでもない。

かといって、何も起こらないわけでもない。

ただ何となく、日常を過ごしていく。

それが空気系のキャラクターだ。



そんなキャラクター、ちょっと物足りなくない?って思ってたら。


人間未満の存在となった空気系のキャラクターは、二次創作の意欲を喚起するらしい。


ニコニコ動画などでその素材を使って自分なりの表現が流行っているのは言うまでもない。
(あんま見たことないんだけど)

初音ミクは言うまでもないんだろう。
(あんま知らないんだけど)

AKB48もキャラクターやメンバー同士の関係性をファンが想像し、そのキャラ設定を実際のドラマに落とし込む。
といった新たな手法も取られているそうだ。
(ああ、これも知らない。俺もう若者じゃないかも。。。)


つまり、今の時代の若者たちは、コンテンツが持っている色を基に、自ら色を変えて行く楽しみを知っている。

その共犯関係で生まれる快楽のために、彼らは物語へ参加する。

だから空気系のキャラクターは透明度があり過ぎてもなさ過ぎてもいけない、ということなのだろう。
*1


空気は無くならないし、日常は続いていく


話を戻そう。

僕が夢中になったKanocoさん。


彼女は透明度100%なのか?
と言われると、そんなことはない。

リアルに存在する「クラスで2〜3番目にかわいい女の子」というよりは
不思議な雰囲気を醸し出す。


彼女は透明度0%なのか?
と言われると、そんなことはない。

別の世界に住んでいる、「全く手の届かない存在」というよりは
何となく同じ街には住んでいそうな、妙なリアル感がある。



つまり、どちらの透明度も獲得していないのだ。


彼女は「空気系」であり「日常系」の存在だった。


だから、僕は彼女にストーリーや物語を見たくなる。

クールな表情だけでは不安だ。

だから時折見せる笑顔に安心するのかもしれない。



そもそも無印良品が日本の中で限りなく「空気系」なブランドである。

ただ、消費者の日常に寄り添う存在なのだ。


そのブランド戦略として、重要なネットカタログにおいて。

彼女の表現力。

また彼女を抜擢している制作者が素晴らしい。



何がなんだかわからん理由をつけてみたけど。

ただ夢中になっている間に僕のゴールデンウィークは終了しました。

空気系とも日常系ともつかない、ゴールデンでは無い日々が始まった皆さん。

今週も頑張りましょう。



日常に押しつぶされながらも

*1:東日本震災後は空気系作品ではなく物語性が必要になる、と言われているようだ[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B0%97%E7%B3%BB:title=wikipediaより]