困難な時代を生きる僕自身へ

何を燃料にして燃えるか


僕はニートなのです。

phaさんのブログとか、すごく面白いなと思ってみていたけど、自分も肩書きは同じになるとは以前は思ってもいなかった。


ニートには時間はたくさんある。

やりたいことをやっていくと、毎日は

「ただもう過ぎてくあっという間に」

お手上げ状態なのだ。

バンザイ?好きでよかった?

バンザイ?好きでよかった?



自分のやりたいことは明確だ。

へんてこな大仏マスクを被って、歌を歌って、人に感動してもらうことである。


そこそこの年齢にして、だ。


そのためには、たくさんの情熱が必要だ。

僕の情熱はまだまだ、ともしびのように小さいのだろう。



昨日の夜、学生のころの先輩がメールをくれた。

ニートをしている僕の噂を聞いて、心配してくれたのか、一度会おうとメールをくれた。



火を大きくする方法は2つあると思う。


1つは、火に油を注ぐこと。

それは、自分より幸せな人から、自分の価値観を否定されることだ。

きっと、燃えるだろう。体に悪いけど。

相手が変化を好まず、安全なところから油を注がれるほど、よく燃える。



もう1つは、他の燃えてる火を利用すること。

火を燃やす燃料が、自分の価値観と似たようなものだと、とても良い。

きっと、燃えるだろう。健全に。

ただ、自分より圧倒的な火に出会ったとき、自分の火を客観視できてしまい、辛い思いをするかもしれないけど。


メールをくれた先輩は、きっと会ったら僕を否定するだろう。

自分はイライラしてしまって、きっと健全な燃え方をしないだろう。

結果が見えているので、やんわりと会えないという旨を伝えた。



最近のはてな界隈

成人式向けに送られた文書を2つ。
両方ともタイトルは同じ、〜困難な時代を生きる君たちへ〜
である。

日々の努力そのものが幸福な気分をもたらすなら、グローバルスタンダード的にどう「格付け」されるかなんて、どうだっていいじゃないですか
私自身は20代からずっと哲学の本を読むことと武道の稽古に打ち込んできました。
とても楽しい時間でした。
結果的にそれで生計を立てることができましたが、若いときは「そんなことやって何になるんだ」と言われ続けました。でも、気にしなかった。
みなさんも「それが何の役に立つのかわからないけれど、どうしてもやりたい、やっていると楽しい」ことをみつけてください。
そうすれば、「努力したけれど報われなかった」という言葉だけは口にしないで済むはずです。

〜内田樹の研究室〜

富裕である国となった日本、そしてその富裕な人として、この時代にみなさんはどう生きればいいのでしょう。
私に言えるのは一つだけです。
どんな学問や仕事を選ぶにしても「私にはこれしかできない」ことを基準にして下さい。
これしかできない「これ」がわからなければ、死んでしまってはいけないけど、どん底まで落ちてみるのもいいし、友だちみんなちゃらにしてしまうのもいいでしょう。
自分の死の形というのをくっきり見つめることができたら、グローバルスタンダード的にどう「格付け」されるかなんて、どうだっていいじゃないですか。
自分の前に避けがたい一本の道が見えてきたら、それがあなたの人生なのです。

finalventの日記

「格付け」という言葉は、ロンドンハーツなどで、若者にもすごく庶民に浸透した用語になっている。

お笑い芸人が、女性タレントや街の一般女性から順位をつけられる。

その基準が「世間」となる。


この2人が言ってること。


「格付け」を気にするのではなく、自分のしたいことを見つけることが重要だ。


グローバルスタンダードの格付けに関しては、僕はわからないんだけど。


すごく身近な周りからの「格付け」。

特に、親や家族や友達からの目に耐え得る覚悟が必要なのかなと、こういう夢を持ってみて、常々思う。


ロンハーで言ったら、街の一般女性からボロクソに言われたとしても、「自分のやりたいこと」を貫かなくてはいけないのだ。



大仏ちゃんの苦悩を見て欲しいんです


となりの芝生は青く見える

人の人生はまぶしく見える


不況だと騒がれる時代に、会社を辞めて。

仕事もせず、昼間っから歌の練習したり筋トレしたりしているような、無謀にもほどがある、今の僕の人生。


多くの人からの格付けを受けたら、爆発しちゃうよきっと。


スタバでかわいい女の子ちゃんを見かける。

彼女の読んでいる文庫本には「紅茶の入れ方図解」みたいな内容がちらっと見えた。

その体のラインを強調するピッチリとしたセーターや、綺麗なピンクに整えたツメや、同色のアンドロイド携帯や、似たような友達が並ぶFacebookの画面や。

彼女をつくりあげているものや、その思考に。

僕のようなイレギュラーな男が入り込む余地がないのだろうな、と思う。



「格付け」を気にしなくなったら、色んなものを失った。

スタバに座っていた、女の子ちゃんの視界に、僕は入らなくなってしまったのだろう。

家族を守っていた安心感や、毎日働いている人から見られる感覚が変わった。



だけど、「自分のしたいこと」をやることで、色んなものを得ることができた。

僕の路上での演奏では大学生からの嘲笑を貰える。

近くまできて笑ってくれるおっさんもいる。

このブログのように、多くの人は通り過ぎていってしまうけど。

もしかしたら、誰かが立ち止まって、気持ちを動かせる可能性はあるんだ。



それは一概にどっちが正解とは言えない。

最近の若者は、「格付け」を意識して生きることも、「自分のしたいこと」を目指して生きることも、どちらも選択できるんだと思う。

だからこそ今、リアルタイムでもがき苦しむ若者として。

その悲惨さと楽しさを伝えていきたい。

同じ轍を踏まないで欲しいという若者への熱い思いがあって、このブログを書き始めたことを今日思い出した。




スタバでコーヒーを頼む金銭的余裕は、完全になくなった。