あの日語り、東北の今、あと個人的な話


「あの日、ちょうどさ。俺は打ち合わせで。ニュースになったでしょ、ほら。
あの九段会館の近くを歩いててさ。すげえ揺れたんだよ。それから・・・」



横の先輩が始める。またあの日の話だ。

3月11日の話である。

年に一回の集まりは、3月11日からまだ一周していない。

つまり「あの日以来久々に会う人たち」が必ず存在する。

この年末の忘年会でも至るところで、「あの日語り」が始まるのだろう。


何でだろうか?


飲み会で恋人がいるのかとか、嫁さんや仕事の愚痴だとか。

基本的なトークが出尽くしたあと、なぜか、「あの日語り」になるのだ。


「お前は何してたの、あの日は?」


先輩から、話を振られた。

うだうだと考えていたので、反応が遅れた。

しかし、あの日以来、もう何十回も話した僕なりの「あの日語り」。

パブロフの犬のように、身体が勝手に反応して、語りだしていた。

30秒くらいでまとめて、その場をやり過ごした。


また僕は考え始めた。



みんなが主人公であるということ





強烈なインパクトが残っている出来事やニュースはたくさんある。


WBC決勝、日韓戦のイチローのセンター前タイムリーヒット

ワールドカップ予選、デンマーク戦の本田のフリーキック

本当に興奮して、印象に残ったシーンだ。


僕は、有楽町の喫茶店で仕事をさぼっているサラリーマンが何十人も見守るテレビで、イチローのヒットを見ていた。

僕は、夜中に家のテレビで、1人で本田のフリーキックの軌道を見ていた。

しっかり、覚えている。



だけど、「イチローのセンター前ヒットの瞬間、お前は何をしていたのか?」

なんて聞かれたことがないんだ。



阪神淡路大震災

地下鉄サリン事件

9.11のテロ

テレビでぼんやり眺めていた。すべて別世界の話のようだった。

同じくらいインパクトがあるシーンだ。



だけども、「あの日どうだった?」そんな質問はされることはない。



一通り、先輩も後輩も、「あの日語り」を終えかけた時、気づいた。

ああ、そうか。



3月11日の話は、みんなが主人公になれるんだ。



「あの日語り」は、恋人や夫婦、血液型や仕事の話と一緒。

それぞれのエピソードがあって、みんなが主人公。

あの瞬間、揺れを体験した人はイチローや本田のような存在となったのかもしれない。

みんなが主人公になれる話だから、飲み会という多くの人が語り合う場所の中で出てくるのだ。



本当に被災された方は、決して忘れることはできないだろうから、遠く離れた場所でこういった話をすることは、良い事なのか悪い事なのかはわからないけど。

まずは忘れないことが大事だと思う。

だから忘年会で嫌な事を忘れることは大事だけど、「あの日語り」をしたら、これから自分には何ができるのかを考えたいものだ。



東北のいまを感じたこと



とかグダグダ考えていたけども、僕は立派な無職でありフリーターでありニートである。

この自由な時間を利用して、ボランティアに行ってきた。

合間に写真を撮ってきたので、ちょっとだけ載せてみる。


何も無い街


生活が流されてしまった


仮設住宅の集落が至る所にある


たくさんの生徒が亡くなった大川小学校


防災庁舎


千羽鶴をたくさん見た



僕は胃カメラを突っ込まれた翌日に、ふらふらしながらバスにのって、東北へと向かった。


そこで得たものは本当にたくさんあったのだけれども。

子どもは被災地でも変わらなく無邪気で。

若者はなんとか前を向こうとしている。被災地を離れる決意をしている若者もたくさんいる。

老人はいつもと同じ暮らしを探していて、ボランティアへも笑顔をくれる人が多かった。

仮設住宅にはたくさんの人がいて、不便な暮らしが続いている。

行政もいろいろと苦労していて、ニーズが変わりつつある被災地は難しい状況である。

そんな中、ただ人としてシンプルに、多くの人は前を向いていたと思う。

たくさんの人が亡くなった瞬間をその目で見てもなお、人は笑う。


心の内の想いなんて、ちょっとの間じゃわかることなんてできないだろうけど、

人間の本当の強さを見れた気がするんだ。




海岸沿いは瓦礫が並んだまま


エンターテイメントの必要性



あの地震は、あの日は。

遠く離れた東京にいた僕の人生においても、本当に大きい出来事だった。

自分の力ではどうしようもないことが現実には起こりうるということを感じられたからだ。

何かしら被災地のためになりたいと思い、ボランティアに参加をした。


その圧倒的な力にもめげずに、生きようとしている人たちから、パワーをもらいたい。

ボランティアは与えるものであるはずなのに、パワーをもらおうという思い。

不謹慎だけど、少なからずあった。


個人的には、他にも理由がある。

僕がやろうとしている人の心を動かす「エンターテイメント」というもの。

あの日、「生きること」に全てを注がなくてはいけなくなった人たちにとって全く無意味になってしまったのではないかと思ったからだ。

そんな時代に、そういう状況の人たちの現状を知らないで、エンターテイメントだなんて言えないと思ったからだ。



現状ただでさえ無意味な大仏ちゃん



実際に被災地で感じた事としては、「エンターテイメント」は必要とされる段階に入ってきているのかな。

ということ。

そういう楽しみが新しいコミュニケーションを生むことになるかもしれない。

また、その力を使って、被災地へお金を落とす仕組みが今後は必要になってくるだろうと思った。


石巻の花火。多くの方が楽しんでいた。


誰かとつながっていること


しかし、その間放置していたこんなブログでも、心配のコメントを寄せてくれる方がいて。

前回、死にかけたみたいなことを書いたから、お前ついに成仏したの?
って心配して頂けたのかもしれないけど。

それだけで、嬉しいし本当にありがたい話です。



「個人」から必要とされていると感じれること。

それはネットの世界で満たされることができる。

いいね!ボタンや、RTされること。

だから僕はブログのコメントで、自分の存在を改めて知る。



「社会」から必要とされていると感じれること。

それはリアルの世界で満たされることができる。

働いて社会に貢献すること。

だから僕はボランティアに行って、自分の存在を改めて知る。



人は満たされないから今日も頑張るし苦しむ。

物理的にも精神的にも満たされるのはとても大変だ。


そんな基本的なわかっていたつもりの事を、肌で感じる経験ができた。


で、色んな想いを表現したいんだけど。

マジで自分の表現力が無さすぎるし、曲の作り方もわかんないし。

課題しか無い。

だけど、明日が楽しみで、不安で、しょうがないのです!