「何者」になりたくてスーツとか捨てて無職になったら、自由だけが手に入りました。

誰かにとって「何者か」であること

何者かになりたい。


そんなことを3月11日、大地震に揺れる東京で、思った。

バカみたいに僕の居たオフィスは揺れていた。


僕の身を案じて、母親や姉からメールがきて、北海道の祖母からもメールがきた。
(そういや父親からは一切来てない。どうなってんだ。)


あの日、家族の次に僕も身を案じていた人がいた。

昔の彼女だ。

心配だったのでメールを送りたかった。


だけども、別れて長いし、もしかしたら、既に恋人がいるかもしれない。
もしかしたら結婚しているかもしれない。


だから、僕はその人にとって「何者でもない」と思ってメールするのをやめた。



あの日、ようやく動き出した、0時過ぎの満員の電車で、カップルを見た。

カップルはいちゃいちゃしてた。

「うちの会社はあの時こんなに大変でさ・・・」

なんて皆が早く家に帰って、したくてしょうがない話を、ずっとしていた。


この後、もっといちゃいちゃするんだろな。

2人の愛は今日の夜、確実に深まるだろうなと。

こんな外的要因は中々ないだろうからな。

東京中のコンドーム買い占めてやろうかな。

こんなくだらないことをEvernoteに永久に書き綴ってやった。



別に、いちゃいちゃしたい訳じゃないんだ。

誰かにとって特別な存在になりたかった、ということ。

こういう状況でも思い合える相手が欲しいという事だ。


その後の雑誌やネットの記事では、地震をきっかけに結婚したい、家族を作りたいという若者の欲求が高まっているとやっていた。

そう、誰かにとっての「何者」かになりたい人は僕だけではなかったのだ。



何者とは何ぞや?


はてなでブログをやっていて、色んな人のブログを読む機会が多くなった。


その中でも有名な方達が盛り上がっている話があったので、
面白かったし、何だか自分にとって辛い内容だったので考えてみた。


ここでの話の「何者」は、地震の時に僕が求めた家族や恋人という存在とはちょっと違う。



凡人ではない、才能のある「何者」になることについてだ。




平民さん(heimin)

平民新聞でおなじみ、写真と文章で素晴らしい表現をされる方。


今流行っているザ・インタビューズで、こんな質問へ回答していた。


先日、twitterでこういう言葉を拾いました。「きっと何者にもなれないオタクに限って、写真…カメラ極めようとするよね。」なんとなく同意するところなんですが、ここで質問です。自分を何者だと考えますか?



簡単に言うと、

何かを目指しても「何者」にもなりきれなかった人は、「何者になれた人=プロ」とあまり変わらない結果を出せるカメラに向かいがちじゃないですか??

という質問を受けた。



この回答が素晴らしくてしょうがないのだが、一部を抜粋してみる

ここからはこの質問をしてくれた人に対してじゃなくここで引き合いに出された「何者にもなれない」とされる人たちに対して僕は語りかけたいんだけど、もしこれからカメラ(絵筆でも縫い針でもギターでもペンでもパソコンでも包丁でも何でもいい)を持ったあなたが「きっと何者にもなれない人間に限って、それを極めようとするよねぇ…」的な言葉を投げかけられた場合には、絶対にそれを言った相手のねっとりとした土俵には乗らず「だから、何?」と言って軽やかに無視して下さい。

(中略)

きっと何者にもなれないオタクに限って、写真…カメラ極めようとするよね。」ていうセリフについて考えてみると、この言葉っておそろしく中身がないわりには聞かされたあなたにイヤな気分だけを残しますよね。うんこを投げられてるのといっしょなんです。
あなたが何をやっている人かに関わらず何かをやろうとしたら絶対に「それをやって何になるの?」という人が出てくる。そこで足を引っ張られないようにして下さい。
繰り返しになるけど「ブレーキになる言葉」ばっかりかけてくる人間はどこの世界にも一定数いる


そんな、ポジティブに頑張ろうと向かう人へうんこを投げつける輩の話は聞かなくて良いと。
素晴らしく元気づけてくれる回答をしてくれている。


それを見たお医者さん(fujipon)さん

「きっと何者にもなれない」あなたへ



琥珀色の戯言
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/

結局のところ、「医者としての評価を極める」ことに限界を感じると、高級外車を乗り回したり、夜の街で顔になったり、お金を稼ぐことに執着しだしたりする。
 なまじっか、「何者かになろうとして」医者になってしまったばかりに、「自分が何者でもなく、医療という大きな機械のなかの、いくらでも代わりがいる1個の歯車」でしかないことがつらくてしょうがない。
 中には「医者らしくない医者」として、「存在証明」をしようとする者も出てくる。
(中略)

それに僕がこの年齢になって感じるようになったのは、「自分は何者にもなれないのだ」と知ってから、本当の「人生」がはじまる、ということなんですよ。


「きっと何者にもなれない」あなたへ


むー。これは中々重みがあるというか。

医者という「立派な職業」だったら、普通は「何者」かになったと思われてもおかしくない。だが、当事者にとっては「何者」になった訳ではないようだ。


それを見たシロクマさん(p_shirokuma)さん

40歳が「何者かになりたい」と欲求すること



シロクマの屑籠
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/

そのような人にとっての「何者かになりたい」という欲求は、10代や20代の頃のソレとは、ニュアンスがだいぶ異なる。若いころの「何者かになりたい」という欲求は、まだ見ぬ未来に雄飛するための推進力だが、歳を取ってからの「何者かになりたい」という欲求は、狂気の沙汰に近い。妄執というか。

40歳が「何者かになりたい」と欲求すること


fujiponさんの日記を見て、40歳以上でそういった状態を保つのは狂気の沙汰である。
と指摘している。

この方もお医者さん。

40歳近くになれば見えてくるものもあるのだろうし、それでも満たされてない人はいる、ということだ。



これはこれで、色々議論されており、常夏島日記でも記事になっている。

40にもなって、自分が何者かだなんて問うことのいやらしさ


大変興味深い話だった。


それを見た大仏さん(yumesalary)

上の話は40才近くなっても、良い大人が「何者」かに憧れを持つ事はどうなのか?

という話。

それを見て尚更。若いうちにチャレンジ、そして挫折を味わう必要があると思う。


よくわからないのだが、一般的に「自分が何者にもなれない」という挫折のタイミングは、
どういう所にあるのだろうか。


僕は人生の目標が「何者でもない人」であったので、そこの所がよくわからない。

普通をとにかく目指す人生について書いてる記事


そうなのバカなの。



たとえば、部活で全国レベルの相手と試合をした時とか、

高校の文化祭でバンドをやってみてプロの技術の凄さに圧倒されたとか

同じだけ勉強しても成績が良い奴がいてかなわなかったとか。



圧倒的にもう無理なんだ自分は、ああ凡人なんだ。

そうやって「何者かになる夢」をあきらめるのかもしれない。



だけど、そういう経験をした事無いのですよ。

いや、経験した事はあったんだけど。

「何者でも無い自分を目指していた」から、それが正解で、満たされていた。

はじめから、その先を目指していなかった。


だから、一見、中2病のような感じに、こじらせちゃっているのかよお前?

って思われがちなんだけども。


ちょっと自分の中で違うんですね。

痛々しいと思われても、このチャレンジはやらなくてはいけないのです、自分の中で。

ただ、やってみるだけ。

「何者」かになってみる。

そのプロセスで色んなものを得られると信じてみる。


この思いだけをもって、ついに無職になりました。


というわけで、色んなものを捨ててみました。


ネクタイも!


Yシャツも


スーツも!


こうだっ!




これも脱がなきゃ!!



むむ??

何か仕込んでたのね

色んなものを失ったけど

自由だけが残りました


さて、皆さんの心に、何かしら残せる「何者」かに。

僕はなれるのでしょうか??