「無職なう」と言う前に心の準備を

変わるものと変わらないもの

リビングの部屋のテレビから、女性の歓声が聞こえる。

昼寝から、目を覚ました。

時間は12時43分。

今日は9月19日月曜日。祝日だ。


ああ、「笑っていいとも」でゲストの誰かが100人中1人を当てるゲームで成功したのだろう。

でなければ、あの独特な悲鳴のような喜びのような、声は聞こえないだろうから。

それにしても、会場の女性はストラップをもらえないのに、なんであんなに喜ぶのだろうか。


ナンシー関さんが信仰の現場という本で、アルタを取材した文章を読んだのを思い出した。

信仰の現場―すっとこどっこいにヨロシク (角川文庫)

信仰の現場―すっとこどっこいにヨロシク (角川文庫)


この本は「何かを盲目的に信じ込む人たち」の隙を取材するという内容のもの。

矢沢永吉ライブとか、電車か切符マニアのイベント?とかに忍び込むのだ。


いいともにおける、アルタの熱狂というのは、

「思った事はすべて口に出してリアクションしてください!」

みたいな。スタッフが空間を作り込むような演出が事前にある、という内容だったと思う。


それは今も昔も変わらないのだと思った。



あれ、待てよ?

テレフォンショッキングって、12時10分くらいからやってるんじゃなかったっけ?


リビングに行って、母親に聞いてみる。

最近はどうも12時30分頃からやるらしい。

あと、タモリさんも、最初の「お昼休みはウキウキウォッチング」的な歌を歌わない?らしい。


「へーそうなんだ。」

僕は息子らしい相づちをうった。

なんで時間帯をずらしたのかなあ、と考えていると、


「おばさん仲間の友達がiPhoneを買って、本をダウンロードして読んでるのを見せてもらったわ!

友達に同窓会の写真をヤフーメールで送ってもらったけど、届かないのよ!

ツイッターって何??あんたやってんの!?」


と母親が矢継ぎ早に聞いている。


「あーすごいね。」

僕は2回目の息子らしい相づちをうった。



見た目的には、母親も孫が生まれて、少し年老いたなと思ったけど。

ばあちゃんになっても、僕は息子なのは変わらないんだな。

そして、この人が話す内容も少しずつ時代に合わせて変わって来ているのだな。

しみじみ思いながら、実家を後にした。



無職になることへの心構え


祝日はいいともが見れる、というラッキー感。

日曜の夜、サザエさんを見ると、憂鬱になるネガティブ感。

そういうサラリーマン的感覚とも、おさらば。


そしてその代償に、もっと恐ろしい感覚がやってくる。

社会とつながってない、自分の存在価値が無い、不安感。


これは絶対来る。


新しい価値観を探す自分が、昔の自分の価値観から、じっと見つめられているような感覚。


僕はそのプレシャーに打ち勝たないと、変われない気がしてならないのだ。


今日の夜は少し涼しくて、秋を告げるように虫が鳴いている。


季節はようやく重い腰を上げたのか。

2011年も相変わらず、夏から秋へ変わろうとしている。



あんま見つめちゃやあよっ!