普通に振る舞うためのレベル上げ

他人に対して気を遣ってしまうと言えば聞こえは良いが、そういう人は、
自分がほぼ完全に支配下に置いておける人間に対しては、逆にほとんど気を遣わず、
まるで自分に属する「モノ」のように、他人から良く思われるための道具にしてしまうという暗黒面があると思う。

母は上記のことを「普通」「常識」「皆こうしている」と言っていた。


自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472

この記事、個人的に大変興味深い内容であった。

少なからず、自分の母というか、家庭にはこういう要素があった。ココまで強烈ではないけど。


id:yuhka-unoさんの母親が守っていたものが「社会性」ということにして、自分の中で振り返ってみる。




電話になると声が高くなる母親



中学生の頃、塾に通っていて、母親と先生(40代女性)が電話で会話するような場面がよくあった。


今でも忘れないのは、塾の先生から


「あなたのお母さんは電話になると声が高くなるのよね」


みたいな、いじられ方をした時である 。



社会とつながる瞬間、何かスイッチを入れるように、声を高くする。

母親の行為は、僕にとって当たり前のことだった。

その当たり前に、初めて外部からのメスが入った瞬間だった。


僕は、ちょっと皮肉をこめて言われたのに驚き、すこし嫌な気分になった。


悪事に荷担している事だと思わなかったので、


「ちょっと電話しただけですやん!おふくろの事、そんな悪く言わんといてください!警察ムカつきますね!」


くらいの認識でいたのだけど。




今思うと、塾の先生はバツ1で、それでも1人でしっかり稼げるくらい能力の高い人だった。

社会性を自分の能力で補完していたような人だったので、「女性の要素を使う電話越しの声色」というやり方自体を皮肉ったのだと思う。


あくまで予想だけど。




世の中的に普通であるということ


僕の家庭は少し変わっていて、以前この記事:父親から学んだ「普通力」 - 大仏の中の人ブログ

で書いたように、父親が社会性なるものをぶん投げてしまった人だった。



その瞬間、僕の家庭の「社会性」というステータスはゼロになってしまった。


だからこそ、常に他人からどう見られるかという「社会性」を重んじてきたのだ。


「どのように振る舞えば普通に見えるだろうか」


という事を常に意識して、そこのレベルをあげてきたのである。


母親も一生懸命で、姉もそうあるべきと努力し、僕もそれなりに意識していた。


id:yuhka-unoさんのように母親から「社会性」を一方的に押し付けられてしまう環境というのは、恐らく辛いだろう。

母親も良かれと思ってやっているのだろうけど。



僕の場合は、家族で「社会性」のレベルアップを目指していたという、変な一体感があった。


だから被害者意識なんて無かった。


だから幸せだったのか。


今回の記事を読んで、他人の人生や家庭環境の話を知って。


あの時塾の先生に対して思った負の感情は、母親を擁護したかったと同時に、

自分の家族や、自分自身が取り繕うとしたものを否定された気がしたからだったのだ。


改めて気づかせてもらえたのだった。