インターネットがあってよかった。

そう思うときが、たまにある。

昨日は、その「たま」が訪れた。

なでしこジャパンの朗報である。

それにしても奇跡のような展開だったなあ。

本当におめでとうございます。

なでしこジャパン澤穂希がナウシカ状態
http://hamusoku.com/archives/5335789.html




と言っても、僕は地デジのフジテレビと。

ロスタイムでもないのに、地デジ終了までの残り時間を表示する
アナログのNHKをいったりきたりしていた。



そう、インターネットは使ってない。

ツイッターのタイムラインを眺めて、同じ時間を共有する人を確かめるくらいだ。


その感動の瞬間は、別にインターネットがあってもなくてもそこまで変わらない。

ただ、テレビをぼんやり眺めていたとき、あらためてそう思ったのだった。

  • 感動のいいとこどり

昨日の昼以降、民放の放送を眺めていた。


選手達の家族が出て来たり、過去を振り返る。

番組構成としては、結果が出たスポーツで急に祭りが始まる、本当によく見るパターン。

あれは2002年のワールドカップ以降、本格化したのだろうか。

それとも昔からの定番のパターンなのだろうか。



号外を配る様子や、スポーツバーでの熱狂、渋谷のスクランブル交差点に集まる若者。

それから選手の家族や恩師(大抵、体育館か公民館で応援)へのインタビュー。



僕は、何も疑問はそこには無かったし、最初の情報としてはこちらもありがたいものだった。

そりゃ、そういった補足情報があった方が感動できるよね。


夕方くらいに「はてブ」をみていると


ツイッターにて神的なツイートをしまくる「乙武さん」
そしてこれまたツイートに定評のある陸上の「為末大さん」


彼らのツイートがまとめられていた。



なでしこ優勝の裏側で…
http://togetter.com/li/162840





「感動のいいとこどり」

うーん。名言。



今、インターネットという場所にはたくさんの情報があるといわれている。

簡単に僕が思うこと。

欠点としては、自分の意見を持たず、情報に踊らされる危険性があるということ。

利点としては、他の人の視点を手に入れることができるということだ。



為末さんはマイナースポーツの実情を知っている。
自ら陸上競技の認知度を広げるための活動もしている。


乙武さんは自らの体をイジる秀逸な自虐的なツイートが話題。
ただ、ハンディキャップを背負った人たちのための、マイノリティーのための社会作りといった視点がある。


そんな2人の普通なら聞けないはずの会話。

テレビが取り上げる「なでしこJAPAN」の祭りに対して、別の視点を僕らに与えてくれた。



テレビ局がとりあげる一時的な感動は良い。

だけど、個人の努力ではどうにもならない部分がマイナーなものにはある。

それを支える仕組みを作っていかないと、次の感動を生むのは難しいと。


こういった視点は、実際に色々な取り組みで苦労されている方から聞けるからこそ、重みを増す。


僕は、このまとめをみて、確かにそうだなと思う。

一緒に見ていた母親は、この視点を知らない。


彼女は、純粋になでしこJAPANの勝利を喜び、育ててきた家族の表情に喜ぶ。

特に大した親孝行もしない、大仏マスク被って駅前で歌っている変態息子と選手を比較する。

また、選手達がアルバイトの傍らでサッカーの練習をしている努力に、感動する。


あくまで、ワイドショー的、週刊誌的な楽しみ方だ。


別に、それはそれで良いと思う。
友達とそんな話をお茶しながら楽しめれば彼女は良いのだ。
十分に楽しいコンテンツなのだ。



マスコミはダメになったと、インターネットでは若者はみんな言ってるけど。


母親は幸せそうだった。


だけど、若者だったり、これから世の中に影響を与えようとしていく人が、

僕の母親と同じ視点ではやっぱりダメなのかなと思う。


だから、インターネットがあってよかった。

そんな時代を、僕たちはどう動かせば良いのだろう??

  • 「好きなことを仕事にする」ということ

地元の居酒屋、しかもチェーン展開でないお店でお酒を飲む。

あつまったメンバーは、高校の友人達。

学生時代、話した事もない人達とお酒を飲みながら話すというのも、
高校を卒業してからの各々の人生があるからこそ。


別に、仲良い物同士でしか会話が成り立たない事なんて無いのだ。



イケメンで歌もうまい。高校時代からモテていた友達と話す。

彼はどうやら今の仕事に不満を持っているようだ。

どうも周りに、こうなりたい!という先輩がいないとか、
ストレス発散のために、女の子をナンパしているとかそんな話だ。



高校生のころ、彼が学園祭のライブで歌っていたのを思い出す。
全校生徒の多くが見守り、熱狂する。

彼はマイクを持ってHi-STANDARDの曲を歌っていた。


僕は、とてもじゃないけど憧れすら抱かなかった。存在が遠すぎた。

ただただ、彼の歌に合わせて、歌詞の意味も分からず。
ぴょんぴょん飛んでいた。

あの頃の彼は輝いていた。まさに「STAY GOLD」だった。


今の彼は言う。


「好きなことを仕事にできたら最高だよね。」

「歌を歌えて、楽器がそれなりにできれば俺は歌手になりたいよ、ホントに。」

「駅前で路上ライブやってさー、有名になったりしたいよね。」



彼の愚痴を僕は聞いていた。

好きなことを仕事にするというのは、どういうことなのだろう。


為末さんが、女子サッカー選手の話をもとに、こうツイートしている。




世間は、好きな事に「すべてを賭ける」姿を見て、感動する。

だけど、いろいろなことを犠牲にしないと、「すべてを賭ける」ことはできないんだ。


だから、彼女達の優勝後のコメントの中で、女子サッカーに貢献してきた、
苦労してきた人たちに対しての感謝がたくさんあったのは当然なんだろう。



好きでやってんだからしょうがないでしょ?
ってのはまあ、正論なんだけど。

相当辛い世界だなと思う。




話変わって、大仏ちゃん。

僕は駅前で歌ったりしている。

歌手になりたい。

だけど歌は超下手だ。

ギターももちろん。

正直、人前で歌うなんてとんでもない、そんなレベルだ。



だけど、それによって人の心を動かせるんであれば、それは歌いたい。
そんな言葉を伝えてみたい。


歌うことは好きじゃない。

その先の、人の心に影響を与える仕事という可能性を知りたいのだ。


そのために、色んなものを捨てようとしているし、この2年くらいは捨てて来た。


安定した暮らしを、社会性を、信頼を、プライドを、たくさんの欲望を、総じて、普通の幸せを。



それでも、僕が報われる可能性は極めて低い。


だけど、友達の彼が想像する「好きなことを仕事にする」という夢は。

それにより何を失うかという視点が欠けているようだった。


少なくとも、こんな低レベルの僕が、そう思ったのだ。


昨日のサッカーを見て、ツイッターのまとめを見て、確信したのだ。


たくさんの犠牲があっての結果なのだ。



努力する人の苦悩を、すこしでも感じれるから。

だから、インターネットがあってよかった。



インターネットが教えてくれたものを、この感情を。


どうやって、活かしていけばいいのか。


一生懸命、考えていこうと思っています。