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ロングボールを跳ね返し続ける日々

さいきん、身体が、おかしかった。

起きたら、あたまが、痛い。

 

土日は休み。

休日という文化はキリスト教で定められたんだっけ?

浮かんだ疑問に対して、検索する気にもならない。

何にせよありがたいもんなんだろ。

 

仕事が忙しくなると、僕はこうなる。

サッカーの日本代表が、試合終盤、屈強なオーストラリア代表に

ロングボールを放り込まれ続けている状態と、よく似た状況に陥る。

 

一生懸命跳ね返す。

こぼれたセカンドボールは拾えない。

また放り込まれたボールを跳ね返す。

後手後手だ。

 

こういう時の精神状態はよくない。その気持ちは日々にすぐに反映される。

部屋に洗濯物はたまり、洗い物はたまり、ゴミがたまる。

挙げ句の果てには、カゼひいたり、肌がボロボロになったりする。

何度もやってきて、分かっているんだ。

”跳ね返す”という行為に頭が一杯になってしまい、自分のペースを作れない。

 

 

そんな日々をようやく乗り越えて、少し落ち着いた兆しがあったからか。

身体がフッと緩む。本当に重荷がとれことを実感できるときがある。

開かれた心は癒しを求め、大量の睡眠を必要として、脳は考えないことを求めた。

 

 

というわけで、今日は土曜日。

えっちな動画やら、さまぁ〜ずのトーク番組なんかを。

少し古くて重いiPadを両手で精一杯上にあげて、寝転びながら距離をとって眺めている。

 

 

はてなブックマークもチェックしよう。

LINEで自殺を促したことで逮捕された学生のニュースを知る。

その流れで、自殺した女子大生が書いたブログを読んだ。

 

絶望した時に発狂から救ってくれるのは、友人でもカウンセラーでもなく、プライドである。 - 続!愛をください!

 

素晴らしい文章だった。

一つ目のエントリー。彼女の表現力の全てが躍動していた。

事件のことに関しては、何も言える言葉をもっていない。

ただ、何かを失っているヒトの表現が圧倒的に放つ鮮やかさが、たまらなかった。

 

 

マツコデラックスさんの著書の一文を思い出す。

2年前くらいに五反田の本屋で見かけた書籍、世迷いごと。

僕のEvernoteに、文章の切れ端がメモされていた。

 

「これはアタシの勝手な決めつけなんだけど、女優や歌手として大成しようと思ったら、絶対、結婚なんかしていられないんだよ。家庭に安らぎなんて求めちゃダメなんだよ。表現するってことは、生き様を見せる事でもあるの。幸せな家庭があって良い旦那がいて、子供がスクスクと育って、安らぎがあって・・ということは素晴らしいし誰もが手にする権利なんだけど、それを手にするってことは何か一つ失っちゃう事でもあるんだよ」

 

 

彼女が精神の病を患っていたことしか、わからないんだけど。

だけど、満たされていたら間違いなく、こんな文章は書けない。

人生はトレードオフなのか。

彼女の文章を読めた僕は幸せであったが、彼女はもういなくなってしまったのだ。 

ただ、残念だと思うしかなかった。

 

少し、意気消沈した後、たまった洗濯物を干しているとチャイムが鳴る。

ブックオフオンラインで取り寄せた本が届いた。

はて、なぜわざわざ頼んだんだっけ?

開いて気づく。・・・これか。

ダンボールの中には”アダム徳永”の本が入っていて、過去の自分がなぜ本を店頭で買えなかったのかを理解した。

 

 

そろそろマイボールにしよう!

 

 

心の中の長谷部キャプテンがそう叫んだ気がして、僕はファミレスに夜中から繰り出して、アダムタッチを極めるべく、本を読みながら自らを”さわさわ”していた。

 

このファミレスは1階が駐車場のタイプだから、横の道路をデカいトラックが通ると店全体が揺れるが、店員は当たり前のように仕事をしている。

そんな不安定な立地の深夜のファミレスで、触れるか触れないかのアダムタッチを、自らの手で試している。

  

 

ようやくマイボールなんだろ。

本当は積極的に攻めて、崩さなくてはいけない。

前に打って出なければゴールにならない。

そんなことはわかっているのに、足は動かない。

僕ははこうやって自分に甘くなりながら、タイムアップを迎えるのだろうか。

 

 

 女子大生の言葉を借りる。

 

「この世界に、ほんの一瞬でも、さわれたことが嬉しいのだ」

これからどんどん生長しても、 少年たちよ、容貌には必ず無関心に、 煙草を吸わず、お酒もおまつり以外には飲まず、 そうして、内気でちょっとおしゃれな娘さんに 気永に惚れなさい。 - 続!愛をください!

 

彼女は、世界と自分の関係に苦しみながらも、世界にさわれる瞬間のありがたみを、知っていた。

 

 

ああ、そうか。僕も誰かの心にさわりたいのである。

言い換えると、世界にさわりたいのだ。

深夜のファミレスから世界を夢見ていたのだ。

 

そして、押し込まれる日々で世界に慣れてしまっている場合ではないのだと、

大事なことを彼女から知らせてもらった気がするのだ。

ちゃんとお礼を言おう。

 

 

生きていることに、気づかせてくれて、ありがとう。

 

 

さて、はたして僕は。

これからの日々をマイボールにできるだろうか。

セカンドボールは、きちんと拾えるだろうか。

トゥモローネバーノーズ

10月1日。
 
サラリーマンとしての調教を受けた僕にとっては、重要な日だ。
期が変わる、重要な日だ。
 
いまの僕にとって、期が変わることなんてどうでも良い。
 
1年前に、ブログを書いて更新が止まってしまった、情けない日である。
 
それが2013年の10月1日だ。
 
 
 
自分を取り巻く環境は、だいぶ変わった。
 
だけど、はてブを相変わらず見ている。
 
数日前にみた文章。匿名のヒトの日記だ。
 
■仕事辞めてきた
 
このまま、あと30年以上も毎日働き続けてさ、
 
まともな貯蓄もないまま老後を迎えてさ、質素な生活を送って、
 
最後に「良い人生だった」つって死ぬ?
 
 
そんなの嫌だ。
 
 
一日一日充実した生き方をしたい。
 
でも、そんな贅沢な生活出来るほどの環境もスキルも職もコネもない!
 
だから、まだ楽しいことが一杯あって体が動くうちに
 
仕事を捨てて、やりたい事や趣味に費やす日々を過ごすことにした。
 
 
たとえ貯蓄が一年で無くなっても、描いてた理想と違った毎日であっても、
 
後悔はしないはずだ。
 
平凡な生活の有り難みが分かるんだから。
 
次は、その為に頑張れる。
 

 

ああ!!見た事ある。というか知ってる。

 

これは2年くらい前の僕じゃないか。

 

会社を辞めてからしばらくは、フワフワ。

 

 ”社会”というものから離れ、浮かび上がり、地に足がつかない存在となった。

 

 そして、僕はまた”社会”に徐々にコミットして行き、地に足をつけようとして必死に生きている。

 

後悔はしたのだろうか?厳密に言うとわからない。

 

偽善的でなく、純粋に誰かのためになりたい、という思いが今の日常を担保してくれている、ような気もしている。

 

 

 

昔、母親に聞いたことを、ふと思い出す。

 

小さい頃。といっても、小学生くらいの頃。

 

ひまわり畑に少女が立っているジャケットの、Mr.Childrenのアルバム。

 

そのCDを友達に借りてテープに録音した。

 

最近のiPhoneのように、斜めにお洒落に、曲のタイトルを表示してくれたりしない時代。

 

テープのケースの裏面に、タイトルが書ける紙が入っている。

 

自分の字が大嫌いだった僕は、母親にタイトルを書いてくれとせがむ。

 

アルバムの最後の曲を母親が名前ペンで書き終えた時、

 

英語を習ったことのない僕は、ひとつの疑問が浮かび、母親に聞いた。

 

 

 

tomorrow never knowsってどういう意味?

 

母親は教えてくれた。

 

「う〜ん。明日はわからない、って意味かな。」

 

 

 

全く理解できなかった。

 

 

 

何?オトナって、みんなしっかりした生き物で、ちゃんと暮らしているんでしょ?

 

明日なんて、ちゃんと訪れるでしょ??

 

なんで、そんなタイトルの曲があんなにカウントダウンTVでもMステでもランキングに入っているの?

 

 

 

コドモの僕には、全く理解できなかった。

 

今ならすごくよくわかる。

 

”誰かの為に生きてみても oh oh Tomorrow never knows

 

オトナに正解なんて無くて、みなトゥモローネバーノーズ状態なのだよね。

 

だけど、トゥモローネバーノーズ状態の中で、何か根拠の無いものにぶら下がりながらみんな生きているのだよね。

 

 

 

新たな事にチャレンジすると、うまくいかないことが多い。

 

過去の経験を活かせる部分もたくさんあるけど、1周目は完璧にいくわけがない。

 

そんなとき、自分の価値とか、存在とか、実力とか。

 

まあそんなことが、足りないなあ、と思わされる現実がこんなにある。

 

言い訳にできなくて、全て自分に向かってくる感覚、というのか。

 

そんなことを、認めて、ぐっと耐えて。ジャンプする時を待つだけ。

 

そうでも思わないと、耐えらんない。

 

何もできない、一歩も動けない。

 

失敗や悔しさを、じぶんのせいにする。言い訳じゃなく。

 

そういうことが、今の僕には必要なのだ、と思う。思うしか無い。

 

 

 

僕はそんな思いをしながら、この1年間食いつないで来た。

 

だけどそれが、本当に自分のやりたいことなのか?

 

と、青臭い自問自答をしながら、毎日を生きている。

 

何を手に入れ、何を捨てたか。

 

取捨選択の過程を振り返り、新しく手に入れたものに希望を託す一方、失ってしまった何かを悲しんでもいる。

 

もう一度、ブログをやろう、1年前に止まっていた何かを追いかけよう、としている。

 

きっと、今の僕ならトゥモローネバーノーズ状態の、深みを理解して、楽しめるはずだと思うから。

 

賢者モード

10月1日。

サラリーマンとしての調教を受けた僕にとっては、重要な日だ。
期が変わる、重要な日だ。

昨日の夜中は風がすごくて、今日の空はとっても青かった。

東横線に乗って空を眺めている。青い。

雲1つない空、というのはこういうことなんだろう。

電車にゆられる僕のiPhoneからは、吉田拓郎井上陽水がギターをかき鳴らし歌っている。
松任谷由実星野源椎名林檎がチャットモンチーが歌っている。


ほどなく目的地へと着いた。


ランダム再生のランダムとは、どういう意味があるのだろう。

ランダム氏は僕のiPhoneから、The Offspringや、ZAZEN BOYSや、ゆらゆら帝国を。
なぜ再生しなかったのだろう。


僕は今日の気分にピッタリだなあ、と思いながら、電車に揺られている。




ここ最近フワフワとしていた。

心がどちらに行ったら良いのかわからない。

今日で自由になって1年が経つのである。

自由と引き換えに、束縛の価値を知るとは皮肉なものだ。


自由であるから、誰かにその不安を埋めて欲しいと思っていた。

誰かから「あなたは自由で良いんだから、抱きしめてあげる」と言われたかった。

要は、セックスがしたかったのだ。



そんなときに女の子に出会った。

まあ、3回くらい遊んだり、食事なりをしていたので
そろそろイケるんじゃあないでしょうか、と思っていた。


4回目にあった時、ご飯を食べていたら。


「大仏くんにね、前から言おうと思ってたんだけど。わたし夢があってね、海外に行くの」


おいおい。

驚愕した。

女の子にではない。


僕が逃げようとしていた所に、この女の子をぶつけてきた何かに、驚愕した。

僕は心の中でつぶやいた。



そう簡単には逃がしてくれないんですか。神様。

信じちゃいないけど、神様。



自分が追いかけていた、夢みたいな、夢よりもっともっと遠いものを、見ないようにしていた。

近づこうとすれば、その試練がどのようなものかわかる。

だけど、目指すべき遠いところから逃げるために近づいた女の子が、また突き放してくれたのだ。



僕は、その言葉を聞いた瞬間。

情事も終えてないのに、俗に言う「賢者モード」になった。

少しだけ神様に近づけた気がした。



10月1日。

超、晴れですね。

台風は、淀んだ何かを。

フワフワとしていた僕の気持ちに似ているような雲を。

全て吹き飛ばしてくれたように思う。

皆さんにも、僕にとっても。

充実した2012年度下半期となりますように。